お写真の撮影について、考えていること



色んなお店で語られている、お写真撮影について。

うちの店では「写真撮影の際はスタッフまでお声掛け下さい」とメニューに記載しています。そのことについて書きます。長いです(笑)。

SNSによって、写真の撮影をするお客さんはたくさん増えました。

お料理が運ばれて、「いただきます」と同じ感じでパシャリ。

今の時代、とても自然なことなのかもしれません。

「写真撮ってもいいですか?」と聞かれれば、

「いいですよ。でも、他の人とか写らないようにしてあげてくださいね」と、たぶん答えます。

でも、それを書いてテーブルに貼っておくことと、直接の会話でやり取りしたことでは、お互い感じ方も異なるはずです。

写真撮影に関して(というより、全てに関して)、トラブルの根元にあるのは「想像力」であると考えます。

「私にとって良いことが、他の人にとって良いこととは限らない」という想像をすること。

人は皆違うので、この感覚は人によって当然異なります。

ふと気付くと、自分の方を向いてシャッターを切っている人がいる。撮った本人はその人を撮ったつもりはなくても、それが相手に伝わらなければ、相手には嫌な感情が残ります。これはお客様同士に限らず、店のスタッフに対しても一緒です。

でも、例えばどこかのテーブル。

小さな子どもを囲んで家族で、穏やかに食事を楽しんでいるグループがいる。記念日かもしれない。

ごはんを頬張っている子どもを、お父さんがパシャリ。こういう微笑ましい光景であれば、その写真のバックに自分が含まれているかもしれなくても、別に不快に感じる人もいないでしょう(いるのかな?)。

「人との関わらなさ」によって、消費の速度は増す。効率性、即効性が優先されることが時代の流れなのだとしたら、それには出来る限り抗いたいと思う自分がいます。

抗う形、それは「少しの面倒くささを残す」ということ。

コミュニケーションを間に挟むような仕組みをつくることだと思ってます。

店としてやってほしくないことを箇条書きして、「これを守れない人は来ないでね」とすることをSATOは望みません。間口は広げたままで。どんなお客さんだって、来て、感じることは何かしらあるはずで、その「感じてもらえるチャンス」は出来るだけ残していたい。

その結果(残念ながら)SATOと合わなかったお客さんは、自然に来なくなっていくものです。これはしょうがない。昔からどこの店でも続いてきたフツーのことだと思います。

SATOのような小さな店では、そこに居るお客様、スタッフ、一人ひとりの発するエネルギーが店全体に作用します。良くも悪くも、です。大きな声でのお喋りが他の人の居心地を悪くすることもあれば、全てのテーブルのお客さんが1人の赤ちゃんを囲んで「可愛いね~」となることもあります(これはもう、本当に奇跡的に美しい瞬間!!!)。

どんなことであれ、そこには人と人の関わりによる「有機的な何か」があるわけで、それは大事にしなきゃいけないなあと思うわけです。

想像力を持つことは、僕らスタッフにとってもそう。

世界遺産である平泉、そこに遠路はるばるやって来て下さったお客さんにとっては、旅の記録としての写真はとても大事でしょう。「ずっと来たいと思っていて」と仰ってくださるお客様、そりゃ写真くらい撮りたいでしょうよ!と。

自分が逆の立場だったらと想像すると、色々なことの着地点が分かる気もします。さすがに自撮り棒をなが~く伸ばして撮り始めた時は、お声掛けさせてもらいましたが(笑)

・・・と、あれこれ書いてきましたが、

つまりこの手の話は「常識がある/ない」の話ではなく、「良識」の話だと思ってます。

国や時代を超えて、人が備えている「善きもの」。

グッドなセンスに委ねたいと思っているわけです。

写真ひとつに、馬鹿マジメにもの凄く考え込んでいるわけです(笑)。

お店側としてはどっちつかずのスタンスかもしれませんが、割り切れないところにこそ面白みがあるはずです。

あっちこっちにフラフラ、「どっちつかずを選び取るスタンス」でこれからも参ります。


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